画像1

ジムは2階です!階段を上がっていただいて、2階にございます。

画像2

いつも元気なコーチです。

画像3

別室に、更衣室・シャワールームも完備してます。シャワーは1回110円(税込)です。

新着情報

2025.09.12

俺が なのか 俺達なのか

昨日、起きたらある人からあることを言われていると報告が来ましてね。

私は何の感情も動きませんでしたのよ。

事実を事実としてだけ受け止めて、あぁそうなんだと事実を認定しただけです。


その昔、20歳前後の頃でしょうか。

私はある人に仕事の相談をしました。

一通り話終えた際に言われました。

「お前の言いたいことはわかった。口からは俺が俺がばかりで一言も俺達自分達が出てこない。それで上手く行くと思うか?」

その時は、頭をガツンとやられた気分でしたが、わかろうとしてもどうしても実際に出来ない人はアイツなんだからしゃあなくね??と思っていたのですね。

若気の至りです。


今はその意味がようくわかります。

何歳になっても俺が俺がで生きる人の末路みたいなものを見る機会もありましたのでね。

野球に例えるなら「犠牲フライが打てるかどうか??」だと思っていましてね??

犠牲フライを打てば確実に1点を取れてチームが勝てるところでホームランを狙って三振でゲームセットで負けるか??

結局、アウトという損に見える事でもトータルで見れば1点が入るということですが、ここをどう捉えるかです。

俺が俺がの奴は「俺の成績に1つアウトが増えた」と自分事で考えますが、自分達の人は「ホームランが打てればヒーローですけど勝てたので結果オーライです」とチームで答えるはずです。

そして、最終的に損に見えることでも記録は「犠牲フライ」になります。

周りはそうは捉えないということです。

周りのことを考えて→俺がここで決めてやる!こういう気概は大事ですが、犠牲フライだ!というように気概と選択が正しく合わさらないと意味が無いのですね。

そういうところから見ると、何歳になっても俺が俺がで消えた人の俺がなんぞ、気概は勘違いの選択もミスということになるので「あそうなんだ」で終わりです。

COMMENTコメント

※本コメント機能はFacebook Ireland Limitedによって提供されており、この機能によって生じた損害に対してぐるっと郡山は一切の責任を負いません