2025.05.29
そこがどう見えているかでだいぶ違うぞの話
ヤッチくん記事ですが…
タイトルの件ですが、ヤッチは以前にも増して楽しそうにボクシングをしています。
安堵の気持ちがある一方、そこがどう見えているかでだいぶ話が変わってきますよの懸念点を。
そうそう、ちょっと断っておきたいのが、リアルな話を出すとなれば→どうしてもあの時こう言った、ああだったが出てきますし、その時俺はこう言ったんだも出てきます。
ただ、それは俺だって出来るんだぞの話ではないのですよ。
俺だって出来るんだぞ!とソコにしがみ付きたいと思うのであれば、エンジョイの存在をヤッチに知らせず後藤さんの動画をヤッチに教えることなく私一人で模倣して「俺が考えた練習なんだ!すげーだろ!」と言えば良かっただけの話なので。
ということで忖度抜きで書きますが、ヤッチがもし私がやろうとしていたボクシングが後藤さんと全く違うものとして見えているのなら、私はヤッチの練習は一切付き合わずに2人でやって貰ったほうが良い→確実に起こるだろうからと思っていましてね。
本題の、そこがどう見えているかでだいぶ違うぞの話。
私ね、正直ヤッチと練習をやるのが怖いんですよ。
全員退路がありませんし、後藤さんに来ていただいてますのでね。
失敗は出来ないというプレッシャーもあります。
実例を挙げると、負けた試合前、私はA3用紙にヤッチに必要なことを書き出して貼り出しました。
その頃はミットコードという共通言語もありませんでしたし、打ったら消えるという言葉も無いときでした。
ヤッチが今になって自分で気づいたことや、後藤さんとのミットコードでやっている原型や、パンチは違えど動きは一緒みたいなことがほぼ書いてあるのですよ。
これをベースに戦うというパンチも文字上ではディフェンスで挟んでる訳ではないけれど、チャートでここに立ち返るというディフェンス動作がしっかり書いてあったりね。
例えば、後藤さんが郡山に来て一番初めにミットコードでやったチェックフックダブル&進化系のコードを見た瞬間が一番マジか…となりましたのよ。。。
全てではありませんが、そのコードの途中の動きは思いっきり却下された動きなんですけど…みたいなね。
ミットでやった際、ヤッチはこんな簡単なステップと言わんばかりに「これっすよね。出来ますよ」といって腑抜けたステップとパンチで終わらせまして。
その後、後ろを取るというところは今で言う消えるというときに取るポジションだったり、、、
めちゃくちゃドライに「完全じゃないにしろなんで一回やって却下したボクシングに歓喜してんだろ」と思う瞬間が多いのですねww
もっと言えば近い距離でカギになると言ったフックなんか「普通この抜け方ないんで!危ないんで」と言っていましたが、後藤さんになった瞬間に、そのポジションに抜けるフックも「常識に無い既成概念に無い抜け方で良いです」の話です。
他にもバックステップにしろオーソドックスにしろ数年前から言っていたことのオンパレードですのよね。
私は、ヤッチが言わずとも態度や言動に出ていた「しんごコーチは何も知らない」というフィルターにかかっていただけの話という前後の理解が無いまま、ただただ上を見て前に進むことに危険さを感じているのですよ。
また足元の小さな石に躓きますよ~360度見渡しましょうね~と。
あの時の関係性では頭に入る余地も無かったので当然覚えていないと思いますが、もし、ヤッチがあの時のアレってこうじゃなかったのかなと振り返ることもせずに→後藤さんのスキルは凄い!!常識に無い!!新しい!!!
とだけ感じているのだとしたら、私はそのアホさに疑問が出ますし、介入しないほうが良いと思っているのですよ。
以前のことが無かったことになるということは、以前のことを振り返る反省の材料を失うことと同じです。
反省の材料を失い前進するということは能天気なだけです。
そして、本当の意味でヤッチは変わることなく自立していないということなので→ヤッチを引っ張るものが後藤さんだけになりますよねと。
それって良い物が出たら前に良かったものが悪い物ORなかったものになるという、ヤッチ自身の改善すべき根本的な部分は何も変わらないという綱渡り状態には変わりないと思っているのですね。

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