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新着情報

2024.11.03

ヤッチの一言に思うこと

昨日は試合後から久しぶりの遠征でした☆

練習後は後藤さんと焼き肉に行き楽しく有意義な時間だったのですね(^^)v

・・・内容については次の記事にしておくとして、私的に気になったことを1つ。


エンジョイスタイルは既存のボクシングと180度違うことを言います。

そして、後藤さんとよくこの話をします↓↓

「エンジョイからボクシングに入った選手は既存のボクシングに染まり、いずれ気づいて戻ってくる」

この話をヤッチにすると「既存のボクシングから入ったからエンジョイがしっくり来たんだと思います」

さらに私的には「既存のボクシングなんてやってないのに、移籍トラブルでそこまで記憶が書き変わっちゃうかww」という感覚です。


小6のヤッチを見て「触らせない距離が保てて、一瞬の隙を突いて自分だけ当てるスピードがある選手に必ず育つ」

これをエンジョイで言えば、エンジョイの基本である触らせない、出てきたらカウンターでドン。

高2のときにイッセーになにもさせず勝って、全国では今は負けても良いから自分から手を出すなと言ったスタイル。

エンジョイで言えば、後の先。

高3のインハイ時の体の作りが中2だったので、勝ち進む感じではないけれど?種蒔きは済んだ。

あとは、プロで元世界チャンピオン、現世界チャンピオンが居る環境で揉まれればなんとかなるだろうと思ったのが大間違いでして、ヤッチくんあなたが大劣化し、そのトラウマから心を閉ざして暴走したのはその時だけだぞと。

言葉は足りなかったですが、大まかに言えば今のエンジョイで言うところの「○○」という一言におさまることでしかないことをズーーーーーっと言ってきていたので、エンジョイを見付けたときに私が思ったことは、今まで幾度となく書いてきたように「私の考えるボクシングを全て体形化と言語化し上位互換したものがエンジョイ」でした。



ヤッチはアマ時代に自分がやってきた練習のどこを既存のボクシングと感じているのか??

走る系・キツイ系の全てのトレーニングにです。

スタミナ無い!走り込み合宿だ!ボクシング=ロードワークが重要というボクシングの常識を未だに言われ続け「いやそうじゃない」と思っているヤッチはそこの記憶が変わっていますのよw

が、確かに私はキツイ練習も走りもさせましたが→→→私はそこにもしっかりと理論武装をしておりましてね、、、そこは完全に水泳の練習です。

今はそうでもないですが、当時、世界に通用する競技だった水泳ではハートレートトレーニングが最先端でして、いち早く取り入れたのが日本です。

これを取り入れた結果→スタミナが付いた日本選手は競技力を上げて世界に通用したのです!!!という単純な話ではないのですよ??

簡単に言うと、この動きを出す際、心拍数がどこまであがるのか?上がった状態は何秒持続するのか?そこが失われると回復まで何秒かかるのか?回復しないのか?何をエネルギーにして体が動くのか??

試合で出したい動きを決めて、その動きは瞬発系なのかそうじゃないのか?などなど、、、そこから逆算したらこの距離をこの速さで何本というのが計算できます。

そこで目標心拍数を手っ取り早く出せるのが→走る・キツイ系のトレーニングだったというだけの話ですが、そこをヤッチはボクシング界の悪しき習慣と結びつけただけの話ですぞいと。


もう1つ、水泳でのドリル練習とは1つ1つの動きを細分化して行う局所練習ですが、それがボクシングでいう点の練習。

昔の練習は点とシャドマだったので、これも今で言うミットコードとパラ的な意味合いです。

点と線を同時進行できるミットコードが体形化の部分、言語化しているとはパラボックスをはじめ○○パンチ、○○ステップという一言で表現された部分です。


やれスタミナだ!やれ走りこめ!やれキツイ練習こそ!地味な練習こそ!

そんな能無しの練習と一緒だったと勘違いされちゃ困りますねーと。

・エンジョイから入った人→既存に行っても最終的に戻ってくる→元がエンジョイだから。

・既存のボクシングから入った人→エンジョイに行って→既存に戻っていく→元が既存だから。

・ヤッチが戻る戻らないのレベルではなくエンジョイに惚れ込んでいる理由は?

・既存のボクシングから入ったからではなく→元々ミニエンジョイから入って→既存に行って→上位互換に出会ったから惚れ込んでいるんです。


元々がミニエンジョイだから、私もヤッチも既存のボクシングには違和感を感じ、既存のボクシングがこうであれば?こうすれば良いと感じ、試行錯誤を続けてこれた訳で、プロジムに行ってもソコと猛烈にぶつかり合ったんだよねと。

後天的にくだらん練習としか感じることが出来なくなってしまったことに気づいていないヤッチは→舐めている訳ではないけれども??

結果的に過去にまだ捉われてくだらんことを心のどこかでは引きずって、舐めていると結論付けることが出来てしまうワードが言葉の端々から出ている→それが100%ではないので不安なのです。

だから超えろと。


ただ、これも序の口です。

上記のようなことを気づけという思いもありますが、私はもっと深いところに最大の不安を覚えているのですね。

深いところを指すものとは?ですが、ヤッチの中にある過去の練習への否定の根源が過去のトラブルへの怒りからくるものなので、それはエンジョイには必要がないし、いずれそれが私とヤッチ・・・ゆくゆくはエンジョイスタイルとの溝になるということが1つ。

何故か??

過去に捉われている人は現状維持が関の山と断言できるし、エンジョイも私も伸び続けるから、そこにズレやヒズミがあるうちは1が10になったときに終わる可能性が高いから。です。


昔、私は社員と裁判沙汰になるくらいバチクソに揉めました。

今日の味方は明日の敵というのがしっくりくるくらいでしてねww

身から出た錆ですが、落ち度は双方にあることを100%こちらが悪いと言われお金を請求され、お金を取るために嘘八百を並べられww

当時ははらわたが煮えくり返りましたが・・・そう時間は掛からず私は怒りの感情は捨てましたのよ。

何故か??

謝罪をし、全てを受け入れ、怒りを捨ててやって感謝出来る自分になったほうが早いと思ったからです。


・・・その後、風の噂で聞いた話ですが、あれだけ大きなことを言っていたあの人もこの人もボロカスに言っていた前職に戻ったそうで、私に対する怒りを延々と言っていたそうな。

事実だけで言えば、あの時あの人が言っていた↓↓

・年収をあげたい
・あの業界には将来性が無い
・今の給料じゃ無理
・自由に働きたい

怒りを捨てきれず、私は悪くないと言い張った結果→裁判には勝ち僅かばかりのお金を手にしたとはいえ、今も同じ職業であるならば上記のものはほぼ変わっていないのですね。

これ、まんまダメエンジョイなのですよ。

帰りの車内で→これで勝ってしまったらもう変われない。と言ったそれです。

だーかーらーエンジョイには不要なことは例え怒りや悔しさであったとしても、感謝d計るようになったほうが良いですぞと。


ちょうど、食事中に後藤さんが言ったように「ジムが無くなっても続けている理由は怒りですね」と言っていたので、怒りは良いもん!と単純に表面だけで思ってしまうかも知れませんが、、、

怒りが発端だったり、猛烈な行動スイッチになっていることは私もそうなので確かですが、だからと言って後藤さんも私も怒りに囚われて自分の行動を狭めたり、間違いの芽になってしまっているかというとそうではない。

根底にはボクシングが好きで楽しくてヤッチを強くしたくて、ヤッチも強くなりたくて楽しくて好きでというのが圧倒的に勝っているからなはず!!!なので、過去の頑張ってきた記憶すら改ざんされてしまうほどのトラウマや悔しかった全てを受け入れ、消化と昇華、全てが必要だったことと感謝を出来るまでになってほしいなと思います。
 
 

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