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ジムは2階です!階段を上がっていただいて、2階にございます。

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いつも元気なコーチです。

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別室に、更衣室・シャワールームも完備してます。シャワーは1回110円(税込)です。

新着情報

2024.10.10

10/5に書いてた予想のブログ ヤッチくんへ

さてさてこの記事は10/5午前3時に書いております。

試合まで待ち遠しい気持ちも不安な気持ちもあります。

不安は直前で出ました。その理由をツラツラ書いていきます。

※以下の記事はすべてにおいて語弊を恐れずに言えばねという断りが入ります。
※めちゃくちゃ長いよ!
※お前、何様なんだよ!とか、それ自分で言っちゃうの?という話もありますが、そこまで言わなければ先はないので恨みっこなしで書いていきます。

いいかいヤッチ??これはエールでっせ???
 
前回の負けから頑張って反省した今だからこそひねくれることなく咀嚼しなされよ!!



本当は今更新したいですが、ヤッチのポテンシャルからすれば舐めている訳じゃないですが負けは無いだろうという算段の元、試合前に更新するほど緊急性はあまり無いという意味で試合が終わってから言おうと思っていることを書いておきます。

スキルや動作など表面的なミーティングは試合後や帰りの車内でするとして、細かい本質的な部分はココだぞ!ということで、ヤッチと解散した10/10の12時に予約投稿しています。

私の予想が合っていればヤッチくんは上記した通り、負けは無いドロー以上か勝っていることでしょう。

私の予想展開はこうです。

1~2Rから早くも見切ったヤッチは割と早めに良いパンチを当てます。

本質的な部分で、まだエンジョイが徹することが出来ず浸透しきっていないヤッチは少し距離が近くなり3~4Rに倒してしまうかも知れませんが、倒しにいかないというエンジョイっぽさが出れば倒すことはなく、そこを相手は凌いだと勘違いするでしょう。

そうなると相手の心までは殺せません。そういう折れない気持ちを4~6Rをジャッジがどう取るか問題は大いにあるのではないかという懸念はありますので、わからないと書いておきます。
 
ただ、いくらなんでもスキルが勝っているので負けは無いという予想です。
 
予想を外してしまったら超ハズイですな 笑
 

何故、勝てると言い切り系の予想が出来ないのか??の試合の展開ではない普段のことレベルから書くと?

めっちゃ大きくいうと感謝が圧倒的に足りなすぎるから。→これは一番下に何故?が書いておきます。


小さなところで言えば、根底にある勝ちたい。それを完全に捨てることが出来ないが故に以前の自分の思考を用いてしまい変わることが出来ないからです。

正しくは徐々に変わってはいるですが、何故、徐々にという遅さを感じるのか?については、根本の理解と根本の自分が変わっていない→土壇場で出るものが過去の自分の成功体験で得たものになってしまうと予想出来るからの一言です。

ギャンブルで失敗した人がもう二度とやらないと誓っても、時が経てばまた手を出してしまうのは大当たり(勝ち)への快感を脳が忘れられず、元の状態に戻ってしまうからという理由と同じです。


何が変わっていないからこうなるのか??

まだまだお子ちゃまな部分があるからです。
 
ここが唯一にしてあと一歩、そして1番大きなところです。
 
それがまず何に出たのか?練習中です。


私がヤッチに何かを訪ねると、そのほとんどが「なんでもOKです!」で終わります。

が、何でも良いのならばとやる練習が自分の意に沿わなければ、あからさまに動きを落として態度に出します。

・・・先週、水曜日の練習量をこなすのは今日までという日、量多めの練習にかんして私は100%やり切ったと後藤さんにも報告して、すがすがしい気持ちになりましたのよ。

それが「おぉマジか…ここまできて根底ではわかってないんだな」と思った出来事がありました。

何にあからさまだったか?後藤さんに習ったクリンチ練習です。

敗戦直後や試合が決まって最初の頃はやっていたクリンチのコードでしたが、良い部分を伸ばせるだけ伸ばすという意味でミットコードとパラに時間を注ぎました。

そして木曜日は休養して金曜日。

最後に仕上げの習ったクリンチをやると言ったら、あからさまに態度が変わりました。

試合だからってこうする!というのは辞めよう!と言っていたのに、いつも通りじゃねぇじゃんと思ったのでしょうw

後藤さんも言うようにパラとミットコードだけやってれば良い!ということは同意見ですし、ヤッチもそれで事足りると言っておりましたのでそれはそれでOKなんです。

が、だからといって過去の敗戦の失敗が消えたわけではないですし、忘れてしまったかと。

過去の全ての試合でヤッチが負けた試合はリングのどの位置で負けましたか?ピンチはなにで防いでいましたか?という話をすると、全てロープ際のクリンチからのその後の展開でして、それがうまくいったかいかないかで勝敗が別れたのですよ。

これは後藤さんが言うように過去のボクシング成功体験なんか捨ててしまえとは違います。

数か月前の失敗なのでね。


ヤッチが何を言わんとしているのか?それもわかります。

パラはそもそも触らせないが前提なのでパラをやればロープには詰らない、それを回避する術もある。

それはわかる。徹しきるのがエンジョイだもん。

ただ、無駄なものと位置づけて使わないものとして出来ることを完全消去に追いやる必要はないですし、それがエンジョイに徹しきらないことにはなってはいないのですね。
 
相手セコンドが自分の選手はスキルで及ばないと感じたとすれば→何が何でもロープ際という、その展開に持って行くことだけを考えるはずです。

負けた試合の映像も出ていますし、体型からしてもヤッチはそれが唯一の攻略法だと思い込む相手が多いことなんかわかり切っています。
 
ただ、よろしくないパターンになった際→元々持っていた思考が「パラでこれがあるから大丈夫!&やる必要がない!」という慢心なのだとしたら→1つの物事をポジとネガの最低2面から見るという基本とは違いますし、その思考は自分の選択肢を1つ消す行為なので、自分の首を1段階絞め→相手が迷う選択肢を1つ減らしてあげるボランティアをしたということなのですよ。
 
そこは絶対に徹底して突いて来られるはずですし、そこしか無い相手はそこに全精力を賭けてきます。

それがネックになるポイントですが、エンジョイ的に言えば窮鼠猫を噛むを迎撃するポイントなのでチャンスですが、ヤッチにはそうは思えない。

何故か??苦手パターンの練習を疎かにしておぼろげに覚えているクリンチだけでは状況は変わらないと予想出来るからです。

私はここを何度も言っていますが、ヤッチはどこ吹く風だったのが残念でした。

そもそも後藤さんのパーソナルを受け、後藤さんに習ったクリンチなので、これもエンジョイなのよw

そして、練習は上記したミットコードとパラに絞るという理由で、最後にしっかり確認しようと帰りの車で話していたのですね。

そこをすっかり忘れて嫌な顔をされ、練習でヤッチがロープを背負い私が前に出るタイミングではヤッチがしたことは→やる気の無さそうに適当にステップだけで避け→習ったクリンチを一切しないということでした。

距離感もスピード感も適当そのもの。実戦に近い練習とは程遠いものでした。

ヤッチの抜き癖は試合で必ず出ますので、ポイントが流れたり危ない場面があったのなら確実にこういうロープorクリンチ際でポイントが流れた場合と予想しておきましょう。

逆に言えばヤッチなんてそのくらいしか無いのになとやるせない気持ちになります。


何故やるのか?敗戦の際、クリンチをして抱き着くだけにとどまった結果ボディを叩かれ効かされ動けなくなった。

そこからクリンチは抜ける・叩かせない・追撃のどれかを必ずセットにだぞとコードを作ったのですね。

そこに後藤さんのクリンチはがしを習い→それまで2人で話して「これが必要」と至った結論であったはずの今までやっていたものを要らないものと位置づけたのでしょう。

要る要らないで判断した結果、最初はやっていた練習も「クリンチすりゃ良いんでしょ」くらいの意識でなんとなく覚えているクリンチという(抱き着く)部分だけになり、その後の大事な部分であるクリンチ後の動きである追撃や接近戦への意識は低いので→試合では出ないだろうと予想しています。

相手が攻めてきた1回の表の攻撃を無効化することで、実質、1回の表も裏も自分のターンにする。ディフェンシブに見られるからそこはやっていこうというのを忘れたかと!

多分、後藤さんが言うクリンチは要らないということと、クリンチしたように見せて次をしっかり考えるということの違いが見えていないのだなというところが原因です。

全体的な構造の話でいうと→10やってたものを後藤さんの1入ってきて、最終的に後藤さんの1と合わせた11を自ら消した形です。

※何故そうなってしまうのか?1は、のちほど。



それはそうと、私はこの行動で→本質部分ではまだまだ舐めていて、自分が舐めていることにも気づいていない状況で、思考的にはあまり前回と変わっていないことと、また暴走し始めているなという危険な匂いを感じ取りましたのよ。

もう言わないというのはしませんし、ハッキリ書いておきます。
 

ヤッチはエンジョイを理解しています。ただエンジョイの本質をわかっている!から、わかっているのではなく、エンジョイの本質に近づきたいからしらみ潰しにわかろうとして、自分の思考にエラーが無いか?常に考えるという1点だけは足りていません。

後藤さんに直接教わったことすら忘れ、取捨選択し始めるとなると、結局のところヤッチは使える使えないだけを自分の頭だけで判断し暴走する→エンジョイの良いところだけを持っていこうとする何も理解していない、こうにだけはならないようにしようなと散々言って来た間違うタイプの人と何も変わらない状況になってしまうのですね・・・これは本当に残念というかマズイですぞと。

なんでも良いと言って、ダメな時はこちらの意図を聞かず、考えようともせず、敗戦直後「一人では限界だなと思いました」からの二人三脚とは名ばかりの一方通行→自分の頭の中だけで導き出した答えに沿わなければ、怒りをにじみ出すことはなくなったとはいえやる気の無い態度にだけは出す。

個人競技でコーチを誰一人必要としないのならそれでいけば良いですが、チームでやっていると言いたいところですが、、、少なくともお父さんが居て、私が居て、後藤さんが居て、後藤さんも期待してくれている中、ヤッチ自身がそんな状態では私的には師匠までわかって貰えていないように感じますし、100%の応援をしてくれているお父さんに合わせる顔がありません。


そもそも会社員だとすると?→なんでもOKです→黙って態度に出すということが、まかり通のかどうか?というボクシング以外で観れば如何に自分がヤバメで甘ちゃんかを理解できる話です。

格闘技をやる人は感情が出るタイプが多いから良いのか?そうじゃない。上にいけばいくほどクレバーなことはわかっているはず。

傾向としては理解出来るものであっても、容認されるものでは決してないのです。

プロということは仕事で、仕事の場にそういう人が一人居るということはどういうことなのか?

お前さんはもう大人ですよということを考えていこうねと。


なので私的にはヤッチが前回の試合から変わったのは、全くとは言わないけれど練習内容だけという感覚がまだまだあります。

この考え方は辞めてくれと伝えていた→要るか要らないか?を自分だけの判断でし過ぎると、100本も足は要らないからと言って、足を切ってるうちにイザという時に加速して歩けなくなったムカデになるぞ!というのを、キレイに忘れております。

納得できるものだけをやりたいというのは理解できます。

納得と正しい思考が合わさった練習は効果も高いということもわかります。

ただ、納得できない思考の構造を持っているかも知れないという想像力を持つということも忘れてはいけないよと。

※何故そうなるかはのちほど2。
 

なにはともあれ自分の研ぎ澄まされた感覚を間違ってはいないことにも気付いているけど?研ぎ澄まされ過ぎて自分まで切られちゃっているよ状態です。

そういう大事なところを理解せず、後藤さんの考えた凄まじい練習効果の七光りのお陰で、たまたま勝ったor負けなかっただけのことに鼻を伸ばして慢心・過信して中盤を迎えたボクシング人生を過ごしていくのか??

それをエンジョイを信じていくことという誤った変換をしてしまうのか?
 
あれほど考え抜くヤッチがこのちょっとした誤差とアヤに気付かないのか?

それで良いのか??
 
そんなもんじゃないだろヤッチは!と思ってみております。


ですからヤッチが→このままエンジョイを突き進もう!と勘違いを加速させないように、ソコがわからなければ一生分かることはなく、まだまだ全然だめですけど??と釘を刺しておきます。

何度も言っていますが、100パーセントの理解が無ければダメですし、努力正しい方向へです。





・・・何故ヤッチが私の練習になんでもやりますと答えるのか?心当たりがあります。

私は前回の試合後、ヤッチに「自分ひとりでの練習には限界があると言われ、私もそう思っていると話をして→※俺に任せてくれんかね?」と言いました。

※その時にヤッチにエンジョイで行くことは伝えませんでしたが、私の意図はパラとミットコードとエンジョイメンタル

その答えに「次勝てるなら何でもやります」と泣きながら答えたという自分で言った自覚があるからでしょう。

ロクに返事もしなかったヤッチが【なんでもします】と言うようになった、この変化は前回の試合後からでしたので。



にも拘わらず、何故、未だに態度が見え隠れして何でもやりはしないのか??

※改善はされているし、1の小さいことだけどその1は大きな差になるので、こんだけ書いてます。

ヤッチは恐らく自分がやりたいのはエンジョイであって、本家は後藤さんというところでヤッチの目には私が優劣や上下で写っているはずです。

そのくらいの感覚だろうなというのが、直接言いはしないけれど気の立っている時のヤッチから私が肌で感じることです。

エンジョイの形は真似できてもエンジョイじゃなくしてしまっているのは、その自分の考え方にあると気づいてはいないのです。

だったらミスの無いようにやってくれ?俺にストレスを与えないでくれ?と、もしかしたら思うかもしれませんが、逆に言えば、皆が皆、乱されるものに乱されているうちは話にならんよという話ですし、そもそも練習中のミスなんぞ練習の過程においては当たり前なのですね。

だからパラでは負けて良いと後藤さんも断言していますし、ヤッチ自身、パラでの負けも許さないんですかというとそうではない・・・ということは??考えが狭いのですね。

以前も書きましたが、ヤッチはミス=悪いこと なのでミスも成長過程の1つである楽しむべきエンジョイ要素ということに気づかないといけませんし、悪いことと思っている証拠に自分が間違うとバツの悪そうな顔をしながら「っーーー!!すみませんっ!」と言ってきますのよ。

私も言いますけどもサーセンーくらいですw

何故バツの悪そうな顔をするか??悪いことだと思っていて、ミスした私をミスしやがってと思ってる以上、自分の時だけはヒョウヒョウとしていることが後ろめたい自覚があるからですww

そんなことどうでも良いのにww



完璧主義と言えばかっこよく見えてしまいそうですが、その実、自分の中でこう在りたいという思いが強すぎて、それ以外は受け付けることが出来ない視野の狭さだったりします。

減量などは完璧にやらないといけないものなので、そのままいけば良いですが→そうじゃなくても良いところは余裕を持ちなされと。
 
やる気があって本質を見るということは→やる気が無くて本質が見れない人よりはだいぶ良いですし、とても大事な要素ではありますが、本質シカミエナクナッテシマウのとは違うんだよということを学んでほしいのです。
 
本質しか見えないと周りの要素を無視しがちになってしまうということにも気付かなければいけません。
 
例えば、大黒柱があれば建物は完璧かというとそうではない、壁があって屋根があって床があって、こんな大きな建物にこんな小さいビスが必要ですか?と思うものもある。

そういうものが複合して建物が成立しているんだよ!と。

とは言いつつ、完璧にやりたいという思いが高く強いからこそレベルが上がるのも事実ですし、ヤッチのそういう部分はそんじょそこらの大人よりはるかに優れているので、あとは使いこなせるようにねと(・∀・)

昔は私もそんなことを思っていましたが、良い感じで力が抜けた今のほうが仕事がだいぶ上向きです。



、、、ヤッチは出てきた気持ちをどう消すか?を考えています。けれどそうじゃない。

消せるようにの時点で出ているのです。

気持ちが出てきすらしない仕組みを作れば、どう消すかなんて考えなくて済みますし、どうしても消せない時間が生まれることなんかないので→ミスは成長過程という発想の転換なのです。

例えば、ダイエットで痩せたいと言っている人は多いですが、買い物する食事はいつも同じ→同じ選択肢の上で痩せる術を探すから買ってしまったものを食ってしまい→無限ループなのです。

もう1つ例を挙げると、3食は辞めない!という人が一時のトレーニングでいくら痩せても、いずれ戻っていくことは何故なのか?

そのレールの上に居ることは変わりないからです。

同じ思考の延長線上で出した答えに居るうちは変われないよの良い例です。

だったら??そもそも買わない&行かないという→土俵ごと変えてしまうほうが効果が早く高いのです。

これを出来る人が痩せる人とそうでない人との違いでした。

消せない!でも消さないと!と焦った結果→自分への苛立ちや私への苛立ちで舐めた態度をいまだに取りますし、試合にも出るだろうし、それは私だからという甘えもあります。

ヤッチ自身が大人で私も大人、もし、私がヤッチに同じことをしたらどうなるのか?という視点が必要なのです。


私が思う→甘えが何を引き起こし、練習が98%しかうまく作動しない理由はハッキリ言えばただ一つでココが一番の問題という点ですが。。。

先程も書いたように自覚があるのかないのか?後藤さんが上に見えて優劣や上下に見えている。

ただそれだけです。

※後藤さんと同等なんて思っていません。

これは以前にも経験がありまして、私はヤッチが強くなるためなら手段を選びませんので、ある人をヤッチのコーチとしてお願いしたことがあったのですね。

その際に、言っていたこと→どっちが良いとかどっちが上とか考え始まったらもう終わりだからな。結果的に空中分解しました。

前回も今回も全体的な構造の話で→ヤッチが強くなる最善を持ってくると、強くなるという本質だけになったヤッチが「負けないようにの部分」が多い私の指導が入らなくなる。

強くなるという本質は外していないが故に他のことに目がいかなくなり納得も出来ず「負けないように」の部分が入らないのです。

建物の話でもしたように大黒柱だけがあれば良いという訳ではない。の部分です。

大黒柱があれば確かに揺れには強い!けど壁が無ければ風雨には弱い。

これが「ヤッチは乗れば強いが崩されると脆い」一番の理由と私は考えていますし「何故そうなるかはのちほど1・2」の理由と冒頭で予想した結果が「負けは無い」としか言えない理由です。


 
強くなるかならないか?必要か不要か?上か下か?そういう思考で見た結果、歩けなくなるのは誰だったっけ?という話ですので、ヤッチはより強くなれる練習を!と思っているでしょうが、まずは複合的なモノを受け取り切れる自分を作ることが先ですぞいと。
 
ヤッチは昔、本番に滅法強い子でしたが今はそう感じる人は少ないことでしょう。

今は煮え切らない理由は練習内容云々ではない部分に大きく左右されていると私は感じているのです。

エンジョイに出会って半年強だからまだ発展途上と言えばそうですが、ヤッチのポテンシャルはこんなものではないというのを私は何度も目の当たりにしてきています。

誰がヤッチをこき下ろそうが1ミリも動じない理由がそれです。

だからサッサと超えろですww


もし、越えられないとすれば、世界がどうのとかの話ではないのですよ。エンジョイは自分ボクシングを極めることが目指すべき道なのに、究めることとは程遠い、自分の中の小さな問題で躓いている訳ですので。

これが珍しく同じところで何度も立ち止まり足踏みしている理由です。



上とか下に見ているんだろうなからの派生ですが、ボクちゃんを観てくれぇ~という、ヤッチが私から離れないための牽制とかではないですからね。

誰が教えるか?・・・ここについてはね、私は高校卒業するときにヤッチを巣立たせている事実も後藤さんにお願いしている事実もあるので、強がりでもなんでもなく、ヤッチが世界チャンピオンになるなら誰が?手段は?は問わないと思っていますのよ。

チャンスがあるほうにいけ!としか言っていません。

よくいる指導者は俺の言うことだけを聞けばチャンピオンになれる!みたいな感じで囲い込みますが、私はそこにダサさを感じますし、なんか出来ないのですよ。

もっと言えば、私ではなくエンジョイスタイル以外にヤッチが目移りしたならばヤッチのセンスがオカシイってだけの話ですので。

なんでかんで私がコーチをして二人三脚で世界とは思っていませんし、それは郡山に戻ってきた5年前のヤッチにも何度か伝えております。

私が育てて世界にじゃなくて、ヤッチが世界を取ればそれで良いというのが私のプライドだからです。

二人三脚も出来たらそうなれば良いなとは思うものの、一番はヤッチが世界を取ることなので、余計な気を使わせて「有名ジムなら世界にいけた・〇〇に習えば世界にいけた」と言われ続けるというのは結果論としても、ヤッチも私も何の得にもなりませんし、ヤッチが引退する時には健康かつ自分の中にやり切ったという納得感があるということが1番ですのでね。

だから、もしそうであれば後藤さんでも誰でも指示を仰ぎ、移籍でもなんでもして自由にいったほうが良いと思っているのですね。

私はイチ応援者として応援に行って気楽に楽しんで観ていた方が全てにおいて無責任なので、それはそれでヤッチの追っ掛けでも良いのです 笑

でも、一緒にやっているならやはり責任があり、ヤッチがこのままじゃいけないと思ったらバシリと言うことが絶対にヤッチのためになるはずなのでね。

ここまでグサグサ言うのは私にしか出来ないことですし。

 
 
それを踏まえて下記ですが、、、

ヤッチが今のままなら私とヤッチに限らず、どこに行ってもいずれ空中分解することが高確率OR気づいた時には遅いと目に見えています。

例え後藤さんとやっても、後藤さんは絶対に私がココに書いたようなことを許しませんし、なんなら普通に切り捨てると思うくらいボクシング愛ゆえの敬意の感じない行動を断罪するはずですので。

何故言い切れるのか??上記したものの原因の1つに「甘えと慣れ」があるからです。

そして、誰とやってもいずれ甘えと慣れは出てくるからです。

一緒にいる時間が長い私に対する甘えがあるということは慣れ以外なにものでもなく、ヤッチの中で私はどちらかというと身内→外面は良いということが言えますので、それだけでやっていけるなんて到底思えないのです。

まして、上に行けば行くほど付き合う人がどこぞの社長さんになったり、質が変わりますし、そういう人は二言三言話せば、ほぼ確実に見透かされて本質的なことを見抜きます。

未だに悔しかった一言がありましてね。

全日本か東日本新人王のときです。

当時、不動産屋を経営して、今は株などで何億円も稼いでいる社長さんが会員様として応援に来ていました。

その会員様に言われた一言がこうです。

「僕は目黒くんがボクシングのセンスがあることはわかりますが、こういう若者は上に行くな!と感じるような人に共通する人間的な魅力や個性を持っているかと言えば、挨拶に来てくれた時に少し話しただけですが、そういうものは感じませんでした。」

「ただ、そんな目黒くんの可能性を信じてしんごコーチがあの手この手で一生懸命引き上げようとしている姿に惹きつけられています。目黒くんはまだ若いので、どれほどのことをして貰っているか気付けないし、理解もできず、それでも諦めずに引き上げようとするしんごコーチのそのストーリーに興味があるだけで目黒くんが発する魅力は今のところ弱いと感じています。目黒くんの人間性を引き出してあげてください」

私、こういうムカつくことはしっかり覚えているタイプなので、自分を良く見せるためにみたいな感じで1ミリも盛ってませんからね?

これ、死ぬほどムカついたんですね。

先月入会のアナタに何がわかる?俺を褒めている風ヤッチへのダメ出ししやがって!一緒にやってるんだから切り離して考えることなんか出来るか!と。

間違いではないので感謝はありましたけども、一瞬の反発力でのムカつきは感じますよそりゃ。

ただ、前回の長いブログでも書いたように、知ってもらえるポイントを発信していないというのはヤッチの事実なので何も言えなかったんです。

そして、その時期、私はヤッチとの出会いやこれまでの経歴をブログに載せまくってヤッチ応援団を作ろうと、猛アピールした記事を書きまくっていたので、はっきりとその差が出たということも感じたのですね。



私も昔、適当に外面だけでやっていたことがありますが、何度も失敗して「このままじゃダメだ」と思い直し、自分の中の甘えた性格を消し去りました。

その矛先をダイエットスキルで研ぎ澄ませた結果、理解できる人が少ない境地まで行ってしまい、行き過ぎもダメなんだなとも思いましたけどもww
 
ですから完璧じゃなくて良いんです。
 
私もココというところだけは頑張って、あとは求めないでねとハッキリ言っておりますし、私のポンコツさはヤッチが1番知っているだろうと 笑笑

ヤッチの部屋でウンコをして流さずに出てきて、嗚咽しながら流すヤッチを観てゲラゲラ笑っているような低俗なワタクシですww

ヤッチはわかる人なので、いずれ自分で気が付くときは来ると思いますが、それじゃダメなんです。

ボクサーの場合、選手生命の旬は短く、その期間内の早い段階で気づかなければいけないという制限時間付きだからです。



甘えからくる、俺はちゃんとやってる、俺は悪くないという他責が抜けない限り絶対に頭打ちします。
 
今がそれだよと。

だから振り切れと。

演技でもなんでも良いから振りまいてみろと。

今はわからなくても、その後に起きる事象を観たときに感じることは以前までとは違うんだということをヤッチなら気づけるからと。



ヤッチの周りにいる人は全員が振り切っている人で、年齢の若いヤッチがそこにいる理由はそうなりたい自分が居るからなはずだ。

自分の嫌いな人は昔の自分というその逆だろ!!だから振り切れ!


例えば、喧嘩はどちらも自分の言い分があります。

だからこそ「自分は正しい!お前は悪い」と思えば思うほど退くことはしませんし解決もしませんし、それが国同士なら戦争になります。
 
絶対に退かずに攻め貫くことだけがボクシングじゃないというのは、エンジョイに惚れ込んだヤッチにはわかることです。

※エンジョイスタイルを究めるというのは退かないことじゃないよ。周りのレベルがカス過ぎるってだけで、必ずスタンダードになる日が来るから。

戦争の先に明るい未来はありますか?と聞かれればほとんどの人はNOと言うでしょう?

勝てば官軍ですか?違うでしょエンジョイは。

負けた国は敗戦国となり、強制労働などがあります。

それが美しい勝利ですか?それがボクシングですか?エンジョイとはかけ離れていますし、エンジョイの崇高な精神性やメンタル面とは程遠いものです。

もし、ここで「もしかしたらこうかもな?~~ってどうなんだい?おーそうだったのか!俺が勘違いしてた!」と、たった一言聞けば穏便に済むかも知れなくて、チームになれるかも知れないのに??

ヤッチの表現は「何も言わないことが穏便・めんどいから言うだけ無駄・何か議論になったら否定にされるようで怖い」という誤った認識があるので、戦争にはならないけど戦争になっていないというだけの状況になってしまいます。

これも何度も書いていますが、ヤッチが自発的になにかを言ってくるようになって本当の意味でチームを理解し、人の気持ちがわかるようになる、相手が望むことが出来るようになる、自分ひとりで戦っている訳でじゃないとわかったとき、実は一番怖いエンジョイの「相手が嫌がることを徹底的にやり、なじり、出てきたらドン」のスタイルを本当の意味で使いこなせる&開花するときだと思っているのですね。
 
選手ファーストを履き違えるな!チームエンジョイ最高ベイベーだろww



さてさて、まだまだあります。

私はスポンサー様を思ってハラハラしていますが、何も無さ過ぎて迷惑すらかけていないレベルだろうと思っています。

こんなこと私本人に書かせること自体が私もヤッチも恥だけど若いうちの恥は買ってでもかけ!だぞと思って書きますが。。。若くないけど 笑

というのも、私はヤッチに8オンス・14オンスグローブを提供しています。

それはヤッチだからという意味が無くはないですが、あくまでグローブ屋として宣伝目的です。

商品価値としてのヤッチ・会社としての私の付き合いのつもりです。

8オンスのときも14オンスのときもSNSで投稿してくれと言って渡しましたし、そこにヤッチもわかりましたと言って渡しています。

が、14オンスグローブは使っていませんし、宣伝もしません。

私も道具にこだわりがあるという理由でグローブやミットを作ったという経緯があり、合わなければいくら高価なミットであろうと即メルカリ行きで一切使ってきませんでしたのでね。

ですからヤッチがグローブを使うかどうかは私は一切気にしていません。

例えば、フワちゃんが「私の名前はフワちゃんです。グーグルピクセルを使ってます」とか言っても、それが本当かどうかなんて誰も気にしませんしね。

そこはどうでも良いのです。

フワちゃんという数字を持った人間が宣伝をすることに意味があるのです。

プロボクサーである程度のフォロワーが居るという、数字を持った商品としてのヤッチを観ているのです。

だから宣伝してね。というだけ。

ここはドライで良いんです。

あくまでビジネスとして渡しているので、投稿する際に付けてくれれば良いだけで→ヤッチは頑張っているし、そんなヤッチに使って欲しいからという情ありきで提供はしていないのです。

ヤッチ的には使ってない&使えないものは宣伝したくない&そもそも頭に無いのどれかでしょうが・・・。

逆になったらどうなのか?という、ここでも人の気持ちを考える→自分が広告塔として何を求められているか?その目線が皆無というところが問題として出てきます。

例えば、Aくんのチケットの支払いは後払いにするという約束で先にチケットを渡していました→Aくんは試合が自分が思っていたのと違う内容だったからという理由で→チケットは貰ったけど払いません!俺は納得してない支払いはしたくないというのが通用するのか?

そんなことを言われたヤッチはどれだけのことを思うのか??ということです。
​​​​​​
というわけで→いやいや!内容は面白くなかったかもしれないけど→実際に試合は観たんだからお金は払えよ。とドライに言い放つか、もう金額はどうでも良いけどお前とは付き合わないとなるはずですのでね。

どちらかを言われるのが今のスポンサー様に言われてしまう状況のヤッチであり、自分がやられたら怒るであろうことをやっている状態だぞと。

もし、これがわからずの感覚でスポンサー様とお付き合いがあるなら致命的ですし、私だからという理由ならお子ちゃまで失礼と認識するのが無難です。

その中で、共感できないものや、ズレたことをお金を出しているのだからというスタンスで言ってくる人が居るならば堂々とお断りすれば良いのです☆


貰った時や何かの時に挨拶するなんてどんなバカでも絶対に言えるイージーな部分という意味では、そこに価値は無いし、あったとしても言えないよりはマシというだけ。

本心が見えるのはその前後なわけなのでね。

そういうセコイ大人になるなヤッチは。


ながーーーーーーく書きましたが、ヤッチの上手くいかない全体構造はどれも同じということに気づいてほしい。

けど気づいていない現状が何故あるのか?



ここで初めて大きなところでは感謝というところに話は行き着きます。

感謝が必要なんです。

してないとは言いませんし、なんならそこらへんの若者より感じている方だと思います。

が、世界を取るにはその器じゃまだ足りんから上げろ!という視点で言ってます。

 
感謝がどういうことか?

諸行無常に気づけば、全ての物や事は空。

その空の連続に生きる自分もまた空ですよと。

空の連続の中の集合体で全てが一瞬で過ぎていくことなんだなと思えば→周りが居て、周りに生かされていると気づけるはずです。
 
周りに生かされているそんな中、自分中心に物事を考え、周りに生かされていることに気付けず、それが正しいと感じてしまう空な瞬間を孤独に過ごすことは余りに痛々しく傲慢でしかありません。

それは自分の人生だから自由に生きていくということとは全く異質な話です。
 
全てが空の集合体ならば?全てを活かしきったほうが最終的に自分のためになるからです。

自分のためになるから自分のためにしかしない奴はいずれ見放されます。

お前とつるむとメリットがないというように、メリットデメリットでしか判断されないしっぺ返しが必ず返って来るからです。

仏教で感謝の語源となった言葉に「有り難し」という言葉があります。

空の視点から見れば、有ることは難しい。だから有り難し→有り難い→ありがとう→感謝なんです。

ただただ、ただただ、この一点に気づけば、怒りや他責等、上記した長い文章中にあるものも全てが「有難い」ものなんだなの一言で済む話なんです。


達観したヤッチはまた違った次元で物事を捉え、感じ、消化し、鬼に金棒になれて、今まで私が言い続けていたポテンシャルが開花するときだと思っています。


ヤッチくんこれは20回は読んでくれよな。


私はこれが伝わらなかったら0で何も始まらないので、ヤッチのコーチは本気で引退します。1でも理解してくれればねちねち言い続けますww

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