※当ジムのスタッフは全員、コロナワクチン接種済みです。
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ジムは2階です!階段を上がっていただいて、2階にございます。

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いつも元気なコーチ陣です。

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別室に、更衣室・シャワールームも完備してます。シャワーは1回110円(税込)です。

コーチ紹介

   豊岡進伍コーチ
 

初めまして。俺のジムで痩せていけのしんごコーチです。

郡山市で開業して14年目になります。
今まで燃やしてきた脂肪は2トン以上です~

…私が今までダイエットをしてきた方の多くは、過去にフィットネスジム・ダイエット食品・ダイエット器具・ダイエット方法を試してきたのに中々痩せずにリバウンドした!
どうせ私は痩せない体質だから!歳だから!と悩んだり諦めていた方が殆どです。

こう言っちゃ何ですが…
上記の様な事をしてもやせないのは当たり前なのです。
それこそ私も色々なトレーニング論・ダイエット理論・栄養面の3面を勉強して試しましたが効果があってもなんか違うなと感じていました。
何故なら全て続けなければ意味が無いからです。
もっと言ってしまえばダイエットに関わる商品等は気休め商品だからです。
飽きるのが分かってるから手を変え品を変え色々な方法や商品が出るんです。

どうですか!テレビの前の皆さん!!テレビを観ながら出来ちゃうんです!!!
↑こういうことを言ってメチャメチャ煽りますが・・・

誰だって寝ながら煎餅を食いながらテレビを観るのが一番なんです。
そもそもそんな細切れ時間をダイエットの為に有効に使えていたら今痩せようと思ってる感情すら沸いてないでしょ~

そして、ダイエット器具なんかも買ってみたは良いけど、数ヶ月で洗濯物が掛かってる便利な台くらいになって→また新しいダイエット器具が出てくるという流れです。。。

女性は短長合わせて人生の35年をダイエットに費やすとデータが出ていますが、9割が失敗しているデータもあります。

その原因は絶対に上記にあるんです。
ダイエットは天秤と思ってください。

どちらかが重ければどちらかに下がる→食べれば太るし→動けば痩せる。これだけなんです。
そこに理論も方法も器具も要らないんです!

じゃあやり続けなければいけないのか???そうです!
少しでも長く続けて少しでも良い状態の体調や体重を維持して欲しいし、どうせし続けなければいけないなら楽しく!

これが私が多くの会員様を見てきた中での鉄板の答えです。

ダイエットにはもっと根本的な解決が必要です。そして、その根本にあるのはシンプルに楽しさです。

昔から継続は力なりという言葉がありますが、継続には楽しいなぁがゼッッッッッッタイに必要です!

俺のジムは楽じゃありません!キツイんです!!でも楽しいです!!!

さぁ~~~~俺のジムで痩せていけーーーーーー!!!
皆様のお問い合わせお待ちしてますね!

 

こんにちは!しんごコーチです。
このプロフィールを書いているのは2022/2/6です。
遡ること5日前私はたくちゃんに「プロフィール欄を更新するから自分史を書くように」と指示を出しました。
そして、私自身の自分史を書いたところ・・・
マジでポンコツ劣等生だということを改めて実感し、全削除してタクちゃんにその旨を伝えました。
が、「逆にそのくらいの方が面白いんじゃないですか??」と大笑いされたので、改めて自分史をしたためた次第で御座います。

このプロフィール欄は約半年に1回マイナーチェンジをしておりますが、私の場合、どこどこでこんな経験積んできたぜ!実績あるぜ!的なモノは一切御座いません。
どうか読み終えた頃には私へのハードルが下がっておりますようにという願いを込めて書いていますw

1986/9/16 郡山市で生まれまして、柴宮保育所→柴宮小学校→緑ヶ丘小学校→緑ヶ丘中学校→日本大学東北高等学校です。
保育園の記憶はカルタ大会で1位になった記憶しかありませんw
小学校は1年生から早速問題児ぶりを発揮し、ほぼ毎日居残り勉強をさせられますが、一瞬のスキを突いてダッシュで逃げ帰っておりました。
宿題をやるのが嫌過ぎてベランダからランドセルを投げ入れて遊びにいく毎日でしたが、スイミングに通い出すと週6でスイミングの練習に明け暮れていました。
小学校時代の記憶と言えば・・・「私の教師生活でダントツで一番頑固な子」だとほとんどの先生から言われまくったことです 泣
・本を読むのが好きだったので、国語の教科書は貰ったその日に読破していたのですが・・・既に読破したものを何故に何日もかけて・・・1年もかけて勉強するのか?を先生に質問してビンタをされたこと
・国語のテストは上に例文・下に解答を書くスタイルだったのですが、何故に上に答えが書いてあるのに、わざわざ下に書き写す必要があるのか?がわからずに矢印を引っ張って、0点にされて、ビンタをされてから二度とやるまいと決め込んでからというもの、ほぼ毎回白紙で提出してしまうような頑固者でした。
小学5年生になると緑ヶ丘に転校をしましたが、転校先はいいとこの坊ちゃんみたいな子が多かったので、全く合わず4か月間誰とも話さなかったこともあってか、今度は腫れ物に触る感じで先生が接してきたことがめんどくさ過ぎた記憶がありますw
徐々に学校に慣れ始まってからは、自分的には普通だけど周りから見たら問題行動が目立ち先生の目の敵になりまして、何か問題が起これば「お前だろ」が日常になった私は「あんな奴に習うことなんかなんもないから学校には行かない」と母親に宣言して不登校になりました。
中学校に上がると保健室登校という形でかろうじて通学はしていましたが、思春期ということもあり、周りと自分の違いにめちゃくちゃ悩みました。
母親からは「学校にいかないなんてお母さんは悲しい」みたいなことを言われ続けたのですが、母親を泣かせてはいけない!!!みたいなことは一切思わずに「なんでやってもないことをやったと決めつける学校に行くことが大切なんだろう?」としか思えませんでしたので、小6~中3くらいまでは凄まじい反抗期でした。
1年生の春には水泳もヤル気を失くしてタバコやバイクに乗ってみたり、中学生が思い付く悪い事は一通りやってみた結果…水泳の方が面白いということに気付き2年になる前に復活をしました。
ここで幸運だったのが、保健室の先生が「しんごくんは学校にフィットするタイプじゃないし、将来は誰に言われなくても自分で何かをやる子ってのはわかってるから、今は水泳だけやってれば大丈夫だよ!」
ということを言ってくれたのですが、何をするにもその言葉があったので本当にダメな所までは落ちなかったのかなと思っています。
5年前くらいにもう定年退職をしている先生を探し出して食事に行ったのですが、その時は泣いて喜んでくれたのが私の人生TOP3に入る宝物です。
・・・2年生~3年生までは水泳に没頭して良い結果を出したり、全国の速い選手を見た結果→強豪校で活躍したいと考えるようになって進学しましたが…
高校は体育クラスという、県内各地のスポーツバカを集めたクラスということもあり、体育会系のノリがめちゃめちゃ気持ち悪かったので早々に行かなくなりました・・・w
水泳部では強豪校アルアルの厳しい上下関係・・・ではなく賭け麻雀や賭けトランプをやる同期が好かれていくという理不尽な世界だったので、一瞬でやる気を失くしましたww

体育クラスは落第が無いということを高1の春に知ってから、自分の気が向いたときにだけ原付ドライブがてら行って→昼飯を食うとバイトに行くみたいな生活でして、当時の担任も私の自由ぶりに諦めて「バイトか?遊んでる訳じゃないなら出席にしといてやるから頑張ってこい!」と言われる始末でした 笑

当時はブラック企業なんていう言葉は無かったので、14時から1時まで居酒屋で働いてバイトばかりしていたように思います。

高校卒業後はボクシングをやろうと思い立ち、上京をします。
が、腰痛が酷かったのとお金のない生活が嫌だったこと→何よりこのコーチじゃ強くなれない!俺ってコーチの方がむいてるんじゃないか??と感じたので、諸々が重なり辞めましたww
そこからは職を転々なんていうもんじゃないほど(50以上は転職した)変えて、ある日、水泳時代のコーチが独立したということを聞きつけて幸運にも働かせてもらえることになり、水泳のコーチになりました。
勤務初日で「コーチは天職だ」と気付きまして、気付けた理由も私自身が超劣等生だったことで、劣等生の気持ちが手に取るようにわかるから!というものだったのですね。

ちなみにヤッチも劣等生ですし、同級生で会員のジンくん曰く→タクちゃんも無気力人間だった・・・奇しくも俺のジムはダイエットの駆け込み寺&ダイエットの終着駅!

ここで痩せなければ一生デブと言っておりますので、そういうタイプが得意なんだと思いますw
読めば読むほどポンコツの頑固者ですが、自分の人生を振り返ってみると何か1つしか出来ないのだなと改めて分かりました。ww
それでいての俺のジムは痩せさせることしか考えていないなんだなと思った次第です。

自分史でしたw




 
     
 
   政島拓朗コーチ

 好きな言葉 思い立ったが吉日

こんにちは!こんばんは!
俺のジムで痩せていけの拓朗コーチです。

まず、私がどんな人間なのかをお話させて頂きますと。。

社会人経験が俺のジム以外なにっひとつない、白紙のまっさらな状態から俺のジムに叩き上げられた男なのです。

と言うのも私実は、俺のジムの会員→バイト→正社員と軽い島耕作みたいな上がり方をしていまして笑

なので、こう言ってしまってはなんですが高校生の時から、痩せさせる事を考えてきた。教わってきたのです!

なんて、カッコいい事言ってますけどそれしか出来なかったって事ですけどー笑

そんなこんなで、社会人を過ごしてきたのですが、ある意味常識知らずな人間でもあると。

俺のジムには固定観念というものが一切なく、「良いと思えば即行動!ダメだったら切り替えていこう!」
なジムなのです。

そんな環境で育った私ですから、太ったアナタの固定観念をぶっ壊すなんて朝飯前なのであります!

ちなみに、皆様はダイエットに関してどのようなお悩みをお抱えでしょうか?

2年間、出会いもあり別れもあり、様々な会員様と触れあってきましたが、本当に十人十色。

(ずっと運動してこなかった。10年以上動いていない。)
なんて会員様もいれば、
(運動を辞めて一気に太っちゃった)
なんて会員様も。

お話を聞かせて頂くと、どんな方も痩せたいとは思っているのです。
理想の自分になりたいとは思っているのです。

アナタもきっとそうですよね。

きっとこれを読んでいる方は、少なくとも俺のジムに興味があるはずです。

でも、一歩勇気が出ない.....そんな状態なのでしょう。

私自身も会員だったので、その気持ち良ーく分かります。

でも、こんな言葉を聞いた事があるのです。
「あなたが3度、立ち読みした本は買うべきである」と。

読んだんだから買えって意味じゃないですよ。

その本は、あなたが今求めている事が書いてあるという事なのです。

その本を買わずに何を買うんだ!

このHPを読んで迷っている人は俺のジムを求めていて、俺のジムで痩せていくべき人なのです!

そんな変わりもの達 笑と私はこれからも、出会っていきたいと思っています!

さぁ!
最後まで読んだんだからなぁ。。


俺のジムで痩せていけー!笑



皆様こんにちは!

俺のジムで痩せていけ!!の拓朗コーチと申します。

先日、しんごコーチと「たくちゃんって意外と会員様にどんな人なのか分かられてないよ!というか俺らもあんまりお互いの事知らないよね。」みたいな話になり。
じゃあ書けばいいじゃん!といういつもの感じで、政島拓朗の小学校から高校までの自分史を書いていくので、アイツどんな育ち方してきたんだよ!って思っていた会員様は見て頂ければと思います。



小学生の時の記憶は、スポ小のソフトボールと3,4年生の記憶しかない。
といってもどちらも嫌な記憶だが笑笑

ソフトボールは、2年生の秋から始めた。
皆大抵、学年が上がった春のタイミングで入部するのだが何故か拓朗少年は秋から入った。
友達がいるからという訳でもなく、ただ単に親に進められたからというで入部したので、グラウンドに入った瞬間の「誰だコイツ?」という目線で既にソフトボールが嫌いになっていたような気がする笑

そして、事件はその日の練習中に起こった。
初日にして怒られたのである笑

と言っても、どこからか転がって来たボールを足で止めた事に対して、「誰だ!今ボール蹴ったのは!」と注意されただけなのだが。
当時のコーチからしたら、別に怒ったりつもりもなく「道具は大切にしないとだめなんだぞ!」という事を伝えたかっただけで何一つ悪い事など言っていないのだか、今まで温室でぬくぬくと育ってきた私はそこで心がポキっと折れた。怖かった。。。
そこから、いかにサボろうかを考え続けたスポ小生活だったが最終的には卒業するまでしっかりと続け、今でも交流のある友人や俺のジムで40キロ太った男ことジンとも仲が良くなったので今ではやっていて良かったと思っている。


小3,4年生の頃は先生が怖かった。
それなのに何故か私は宿題を出しておらず、毎日ビクビクしながら学校生活を送っていた。
別にやればいい話なのだが、私が当時提出してなかったのは音読ノートという毎日、音読をしたかどうかをチェックするノートなのである。

それには先生が毎日チェックする欄があるので、1日でも忘れると「昨日出してねーじゃねーか!」とバレてしまう。私は序盤の4月か5月ぐらいに1回忘れてしまった。
3年になってもビビリが治らない私は「出してねーじゃねーか!」と言われるのを恐れて、次の日も出さなかった。その時点で私はもう復帰するタイミングを逃したのだ。

そこから毎日先生が、人数分提出されているかチェックしない事を祈る日々が始まった。
気分は毎日バレないか怯える逃亡犯。バレた日は怖すぎで誇張なしで景色がぐるぐる回ってぶっ倒れそうになった。

つまり、3,4年生の頃は月〜金まで先生に怯え、土日はソフトボールに怯えていたのである笑
両親が厳しい訳はなかったので、言えば何とかなっただろうがあんまり当時自分の考えを他人に言う子供ではなかったので誰にも言わず耐えた笑
これでもソフトボールも学校も行ききったんだ!!
誰か褒めてくれ!!!笑笑


中学校に入学してからは、部活と好きな子に悩んだ。
しかも、好きな子が同じ剣道部だったから余計に悩んだ笑
中学校に入学し、嫌な事から開放された私は「思いっきり楽な部活に入ってやろう!」と友人と体育館の2階でやっている卓球部に見学に行った。普通に失礼な話である。
しかし、ここが運命の分かれ道。
その日は、女子卓球部しかやっていなかった。その話を聞いた私と友人はトボトボと階段を降りていると、1人の先輩に声を掛けられた。

この声掛けが私の中学校生活を悩ませた1つの原因である"剣道部"との出合いだった。
勧められるがままにそのまま剣道部に入ったが、1年生の頃はめちゃくちゃ楽しかった。
何故なら勝てたから。
私は中1にしては身長が大きく、身体が成長しきらない中学1年生の頃は勝ちに勝ちまくった。
「俺最強!」って思うぐらいに。

中学2年生になってもまぁまぁ勝ててた。
でも身長は止まった。その頃には今とほぼ変わらない身長で、周りはどんどん背が伸びていき入学当時見下ろしていた同級生を見上げるようになっていた。
私は急に勝てなくなった。
まあ、テクニックが成熟しきらない中学生にとってはフィジカルが正義であり、チビは弱いデカは強いなのでそういう運命だったのだろう。
先輩が卒業し、私は部長に任命された。

3年生になり、部長になったが私はますます勝てなくなった。「全然勝てない。」と思うは思うほどに思考はこんがらがり、1年生にも負ける事があったり、2年生にはボコボコにされた笑

だが、「部長として剣道部を引っ張らなくては!」という思いから厳しい部長として頑張ったが弱い先輩になんか誰もついてこない。
誰かに支えて欲しくて、同じ部活の好きな子に告ったが振られた。10回ぐらい告ったが全部振られた笑
中学生特有のメンヘラである。キモいなぁ。。

その後もプレイヤーとしては全く伸びす、チームも県中大会で負け剣道部を引退し、夏休みからは1日も休まず遊びまくって楽しい日々を送りながら中学校を卒業した。

そんなこんなで高校に入学し俺のジムと出会った。

高校に入学し、「今度こそ部活辞めてやる!」と山岳スキー部に。幽霊部員というやつ。

毎日、学校が終わっては即昼寝で部活が無いのは最高だった。でも、何か物足りない。
1ヶ月も経つ頃には毎日昼寝生活にも飽きて、なんか変な感じ。そんな時ジンに声を掛けられた。
「一緒にボクシングやらね?」
これが俺のジムで痩せていけ!!と出会ったきっかけである。


高校自体は全く中身の無い生活を送ったので、書くことが一個もない。ただ、バイトをして着々と過ごした。
あんまり面白くなかったし、面白くねーなって思ってる事がカッコいいと思っていたのでより、面白い事から遠ざかり「そんな俺カッコイイ〜」に完全に浸っていた笑笑
でも、高校があんまり面白くない事は確かで、積極的に面白い事に参加しよう!と思っても限界がある学校だったと思う。

という事で、会員としてやっていたジムで高校2年生からバイトを始めそのまま卒業し無事に俺のジムの正社員になった。



と、はい!ここまでが私の小学生〜高校までのお話でした!
バイト期〜正社員
正社員〜これから

仕事系は
の話はこれからのブログで書いていきますね〜。

大した話のない自分史でしたが、何があったなか?と振り返ると中々楽しかったです笑笑




 
 
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