2025.06.26
明け渡す。
皆様こんばんは!
知り合いの試合を見に東京へ来ています。
暑さと湿度でコーヒー屋を転々としています。笑
さて今回は《明け渡す》について書いていきます!
後藤さんの、エンジョイのメンタル面を少しでも理解するのに、孫子の兵法や宮本武蔵、老荘思想の名言と言いますか意味を日本語訳したものをふとした時に絶対に見るようにしています。
その昔、お偉いさんに牛を捌く料理人がいたそうで。
お偉いさんがその手捌きやあまりの見事さに音楽を奏でているかのような、と称される程凄まじい技術だったみたいです。
お偉いさんが技もここまで極まるものなのか、と賞賛の声を上げた所、その料理人は
私はこれを技では無く、道(タオ)と考えています。と。
初めの頃は目に映るものは牛の姿ばかりでしたが、3年後には牛の姿では無く《心》で見るようになりましたと。
ただ心の作用だけが働くと。
そうするとひたすら自然のままに、何かに抗う事も無く、まるで水のように。
そうすると気づくと難所にぶつかる事もなく簡単に解体出来ると。
そのせいで解体に使っている牛刀も20年も使っているのにまるで砥石で研ぎたてかの様に刃こぼれひとつ無いんですと。
バガボンドという宮本武蔵の漫画でも上泉信綱という剣聖がいて、
《我が剣は天地とひとつ。故に剣など無くても良いのです。》
《道を極めたのなら、刀を抜くまでも無いもの。》
という言葉があります。
上泉信綱と対峙するとまるで大きさの見えない優しさに包み込まれるかのように、相手が刀を振らずとも降参していました。
もうどちらも正にだなと。
ただの殴り合いでは無くメンタルゲームであり。
そして本当にエンジョイという道を極めた時に殴るまでもない。
そして刃こぼれひとつ無いというのは身体に何のダメージもない事。
古くから名を連ねた偉人達が何故技術よりもメンタル、内面を書き記し残しているのか。
技術の事を書いてない訳ではなくてね。
それは慢心ひとつで命を取られる状況下にあり、だからこそいくら技術があろうと心が欠けていれば死ぬ可能性がある訳です。
車の運転で事故る人の運転みたいな。笑
どうせ来ないだろう〜〜行こう!!バーーンッてね。笑
本当にまだまだですが少しずつメンタル面も一定に。水のように。心がけていきたいと思いますと思います。

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